この冬木の地で行われる聖杯戦争調停の任を受けるとき、このような忠告を受けた。
「あの地で行われる聖杯戦争は、他の地の聖杯で行われるものとは、呼び出される英霊が違う。
我々には計り知れない何らかの基準で、呼び出される英霊が選別されているらしい。
狙う英霊の縁の品を持っていくのは有効な作戦ではあるが、その英霊が呼び出せるとは限らないと思っておけ」
その言葉を聞いても、私は自分が、かのクーフーリンを呼び出せることを、心のどこかで――確信していた。
だから、いざ冬木の地で召喚を行い、幼い頃より憧れたその英霊を呼び出せなかったとき、私はひどく落胆した。
何度も、何度も、幾度も、幾度も、ありとあらゆる手段を講じて、その方法を模索した。
手が届く可能性を目前にして、私は私を見失うほどにそれを求めた。それでも――彼は、その呼びかけに応じなかった。
気づけば、もう聖杯戦争の開始までに残された時間の余裕は無くなっていた。
ひょっとしたら、途中からはすでに彼の枠であるランサーや、バーサーカーが誰かに取られてしまったから
だから、彼を呼び出せなかったのではないか。などと、一瞬だけでも都合よく考えてしまう自分の能天気さが恨めしい。
いつから私は一時の感情に身を任せて、大儀を見失えるような大物になったと言うのか。馬鹿馬鹿しい。
大きく呼吸し、迷いをふりきる。
そう、私の名はバゼット・フラガ・マクレミッツ。
いつまでもくよくよと、女々しく迷っているのは、私ではない。
そうと決めたなら、手早く違うサーヴァントを呼び出すのだ。彼に見合うような、優れたサーヴァントを――
生命の象徴、新たな命を生む春の象徴、召喚の儀式に相応しいルーンを使った魔方陣を隠れ家にした洋館の床に書く。
クーフーリンを呼び出すために行った、あらゆる模索の中で分かった事実を元に練った、この地に最も相応しい詠唱をもって
聖杯戦争を戦い抜くための、最強の英霊を召喚する。媒体こそないものの、これなら問題ないだろう。
「――――開かれよ。
観客はここに、想いは映し出される。
喝采に応じ、この意、この讃えを歓ばしく感じるならば、応えよ」
「再演を此処に。
汝は常世総ての善と成る者、
汝は常世総ての悪を識る者。
我銀幕に映える画を望めり、
閉じたる円環より来たれ、壇上の謡い手よ―――!」
光が洋館を満たす。薄靄の中から、一人の男が姿を現した。
黒いタキシードに蝶ネクタイ、紫煙の香りを漂わせた、いかにもイギリス人な気障な装いが
まるでその男の為に生み出されたファッションのように、ひどく似合っている。
黒い髪に青い目、丹精な顔の中心を通った力強い鼻筋が、これまたいかにも西洋的な顔立ちだ。右頬にうっすらと傷の痕がある。
手には黒い銃――ワルサーP99――が握られている。
銃を宝具とするような近代の英霊は通常珍しい。ともかく、飛び道具であるそれを握るのなら――
「――アーチャー、ですか?」
男は答えず、すっと私のそばに近寄った。
女性のプライベートエリアに入りなれているのか、その動きはあまりに自然で、優雅だった。
整ったその顔立ちが近づいて、私は自分の顔が赤らむのを感じる。
「ボンド。ジェームズ・ボンド。クラスはアサシンだ――
それで、僕は美しい貴女の名前を聞く栄光に与れるのかな?」
彼は、ボンドは、私の目をまっすぐに見据えて、そう言った。
思わずその目を見つめ返してしまうが、はっと気づいて一歩下がった。
両手が、自分の体を抱くように丸まってしまう。肘に手をあてて腕を組んでいるように、努めて見せかける。
「私の名は――バゼットです。バゼット・フラガ・マクレミッツ。よろしく、アサシン」
自分が構えてしまっているのを自覚しつつも、それを押し隠そうと、あえて握手を求めた。
アサシンは、それが全く当たり前の行為であるように手を握り返す。
その自然な仕草と、暖かな手のひらに、身構えている自分がバカらしくなる。
意識して作った笑顔は、一瞬の後に自然な笑顔となり、笑みをかわした瞬間、肩から余計な力が抜けていくのを感じた。
「よろしく、バゼット。それから、僕のことはアサシンでなく、ボンドと呼んで欲しい。
その方が呼ばれ慣れているし、どの道、相手にこの名が知れたところで弱点には成り得ない。
あるとすれば、君が敵に回ったときだが――君が僕を裏切ることもなければ、僕が君を裏切ることもあり得ない。
この聖杯戦争のあいだ、僕が君を必ず守り抜く。安心して欲しい」
ボンドはそう言って、力強く微笑んだ。
しかし、私には彼のそんな物言いが少しだけひっかかった。
『男が女を守り抜く』――なんとも古風な考えではないか。私はそんな彼に、少しだけ悪戯がしたくなった。
「そうですか――ではボンド、これから聖杯戦争の監視役がいる教会まで出向きます。
そこまでは、男の貴方がこの荷物を持ってください。私には少々重たいので」
そう言って、ズシリと重たいフラガラックの入ったバッグをボンドに手渡す。
怪訝な顔をしながらもバックを受け取ったボンドの腕が、予想外の重みに上下にブレた。
それでも決して取り落とさず、笑みも崩さないのは流石と言ったところか。
続いて私は、何気ない風を装って――――
「――おっと」
部屋を出ようとして手をかけたドアの、金属製のドアノブを、逆方向に捻り千切った。
「しまった――これは困った。
あぁそうそう、戦闘中はそのバッグに入った武器を使って、私が前に立ちます。援護してくれますね?」
私が放り投げた、チャチなプラスチックのようにねじ切られたドアノブを目にして
ようやくボンドの口元に、少しだけひきつったような歪みが現れた。
私はそれを見て――心の中で、密かに小さくガッツポーズをした。
■
夕闇の中を教会へと向かう道すがら、私達はお互いの戦闘スタイルなどについて話し合った。
相手の切り札を使わせてから発動するという、その自らを危険に晒す私のフラガラックの効果や
基本的に援護を任せて私自身が前に出るということに、彼は少なからず難色を示したが、最終的には納得した。
なにより、彼の宝具は私となかなか相性が良いことが分かった。
相手に宝具を使わせざるを得ない状況を作り出す、攻撃的な一つ目の宝具はもちろんのこと
不意をつくことに適した特殊発動型のもう一つの宝具も、私の戦い方と相性が良かった。
これは、特殊な戦闘法を持つ私にとって、サーヴァント自体の優劣以上に重要な事柄であったので、非常な僥倖と言えた。
「着きましたね。ボンド、頼みがあるのですが――」
「悪いが、ここで待っていてくれという頼みなら、聞けないな」
教会の前までやってきたところで、ボンドは初めて私の言葉にはっきりとした拒絶を返した。
先読みされたことより、その事実に驚いて私は聞き返した。
「――バゼット、君の瞳を見れば、これから会いに行く男が、君にとってどのような存在なのかは大体分かる。
それでも、君を一人で行かせるわけにはいかない。何やら、嫌な予感がする。これはサーヴァントとしての私の勘だ。
どうしても行くと言うのなら、せめて気配遮断してついていくことを許可してくれ。そうでないと、君の安全は約束できない」
たとえ前線に立つことを許そうとも、その身だけは何があっても護り切る――そんな決意が感じられる言葉だった。
「――分かりました。ただし、気配遮断をする必要はありません。
立ち会うのなら、堂々と行きましょう。いいですね、ボンド」
ボンドは手にした銃のスライドを引き、トリガーを引いてチャンバーに銃弾を送り込んだ。
気配遮断の応用か、装填された銃というこの上なく物騒なものを手にしていながら、威圧感や違和感を感じさせない。
こちらに向き直り、やはり心強い笑みを、その顔に浮かべて――
「了解した。行こうか、私のマスター」
かしこまった堅苦しいほどのイギリス英語で、おどけるようにそう応えた。
■
――と、構えたわりには、言峰との再会はわりとすんなり終わった。
儀礼的に聖杯戦争の説明をすると、健闘を祝福され、それで終わりだった。
ボンドを一瞥しただけで、私に対する個人的な言葉もそれといってない。
私はそれを見て「あぁ、なんだ――そんなもんか」と思った。
隣にボンドがいることも、決して無関係ではなかっただろう。
それでも私は、私の中で確かに終わった私の一部を、なんとはなしに見つめていた。
教会から出たあとも、ボンドと私は気が抜けたような感じがしていた。
飄々とした態度を崩しこそしないものの、意気込んだわりに何も起こらなかったので、ばつの悪い思いをしているようだ。
しかし、精彩を欠いてはいるものの、それでもボンドはなかなかの喋り上手で、聞き上手だった。
教会から洋館へと戻る途中、これからの戦いにおける地の利の話から、幼い頃の失敗、
果ては景観までも話題にして、ジョークを織り交ぜつつ、実によく喋った。
普段はそのような無駄なお喋りを好かない私も、少なからず気落ちしている私を慰めようとするボンドの気遣いだと思えば
さほど気にならず、こちらから口を開く気にもなれた。
またボンドはそんな私の言葉に、的確な疑問と間のとれた相槌、鋭い洞察と理解力を持って反応してくれた。
話がはずむ中――二人同時に、喋りと歩みを止めた。丁度人気のない公園に通りかかったときだった。
1・夕闇が姿を消し、電灯だけが煌々と光る公園に、チェーンソーの轟音が唸りだした。
2・闇に包まれ行く公園において、不自然なまでに暗い電灯の当たらない一角に、着物を羽織った老人が、そのサーヴァントを連れて立っていた。
3・一票も入らなかったロシアンブルマーの逆襲〜出番を寄越せ〜