「はっはははっははっはははっあはっははははははは」

ボクはどうしようもなく、笑い出した。
どうすればいいと言うのか。

衛宮を利用して聖杯に至り、魔術回路を祈る?無理だ。
よしんばそこまで行けたとして、不意打ちでもいいから衛宮とセイバーをそこで殺害できる方法があるなら……
それも、あるいは可能だったかもしれない。
しかしセイバーのあのスキル――偽臣の書を通して見える、関わったサーヴァントのステータス――
ヤツの戦闘力の真の高さは、魔力ではない何らかの力による、先読みにある。
サーヴァントの攻撃を凌ぐほどの冴えを見せるその能力に、魔術すら――
――糞っ――魔術すら持たないボクに、何ができるというのだ。

「……慎二」

体を曲げるようにして、笑い続けるボクの名を、衛宮が呼ぶ。ウルサイ。
いっそコイツを説得するか……泣き落としでもして?

<衛宮、ボクは君のように魔術回路が欲しくて欲しくてたまらないんだ>

馬鹿か。そんなことを言ってしまえば、それはもうボクじゃない。
ボクはボクである為に魔術を欲するのだ。そんなのは本末転倒もいいところだ。

ならば――――ならば、一体どうすれば?

ボクは狂ったように笑い続ける。衛宮は為す術なく立ち尽くす。
それ見ろ。人一人救うこともできない。まして全てなど。オマエこそお笑い種だ。

そこに、ライダーが現れた。

「シンジ……サクラちゃんが呼んでる」

笑い続けるボクに、これといった反応もせず、そう用件だけ告げた。
全くどうかしている。おかしいと思わないのか、笑い続けるボクを?
魔術回路のない、役立たずのボクを、疎ましいと思わないのか?見下さないのか?

「全く……オマエラどうかしてるよ。本当におかしいんじゃないの?」

ボクはそれだけ言ってその場から去り、桜のいる寝室へと向かう。
ライダーと衛宮がどんな顔をしているかは分からない。
ただ――――多分あれが、アイツラがしうるうちで、最もボクを救う方法だったんだろう。
アイツラは本当におかしい。そして優しい。しかし、手をさしのべはしない。
それでも、そんな突き放すような優しさを、ボクは認めないわけにはいかなかった。
憎しみに灼けた傷口には、触れる羽毛より、離れた刃の方が優しいのだ。
そのことを衛宮もライダーも知っている。だからこそボクにこう接している。


居間を出たボクは、頼りなく彷徨う今の自分の思考のように、廊下をふらりと歩いた。
長い廊下。広い廊下。そして、耀い廊下。
ここはマキリではないが、ボクはマキリなのだ。それは何があっても変わらない。
そして、この部屋にいる女も――――


「兄さん……来てくれたんですね」

部屋に辿り着きドアを開けると、臥せっていた桜が半身を起こしてこちらを見た。

「……呼んだみたいだけどさ、一体何の用?」

桜はボクの方をしかと見て、話し出す。
ボクはここにきて、桜はボクより本当の意味でずっと強いということに、気づいてしまってきていた。

「兄さん……ごめんなさいっ」

だが、予想に反して突然謝罪を述べる桜に、ボクは呆然としてしまう。
こちらの戸惑いが伝わったのだろう、桜がそのまま続ける。

「その……シチューも作れなかったし……なによりあの場で気を失ってしまって……
 兄さんにも、先輩にも、マーティさんにも心配させて、迷惑かけちゃって……ごめんなさい」

――そうか。ボクはつい、桜が全て知っているような気がしながらここに来ていたが
桜は今の今まで眠っていたのだ。大方ライダーが最初に気づき、次にボクを呼んだのだろう。
だが……
「なんで、謝るんだよ」

ボクの口をついて出たのは、理解しているその現実とは裏腹な言葉だった。

「なんで謝れるんだよっ!おまえは、この場の誰より傷ついてるんだぞ?
 あのときのことだけじゃない!それ以外にも!ボクはおまえを傷つけ続けた!
 なんで謝れるんだよ!どうして!ボクが憎くないのか!マキリが憎くないのか!どうしてっ!」

ボクはどうしようもなく叫んでいた。
しかし、それに対する桜の声は、ひどく落ち着いていた。

「……憎んでますよ」

桜はそう言った。ボクは胸がしめつけられて、呼吸も出来なくなるように感じる。

「わたしをマキリに渡した遠坂の家も憎かったですし、わたしに蟲を植え付けたマキリも憎かった。
 わたしは、わたしをとりまくほとんど全てを、心のどこかで憎み続けてました。今もそうです」

「……なら……どうして……」

「感謝もしてるからです。どうあっても、わたしがここまで生きてこれたのは
 生んでくれた遠坂のおかげで、育ててくれたマキリのおかげです。憎んでいても、それは変わりません」

桜は、打ちひしがれるボクを前に話し続ける。

「なにより……先輩に逢えました。ねえ、兄さん」

「……なんだよ」

「わたし、もうそれだけで、これから先、生きていってもいいんじゃないかなって思えるんです。
 わたしは――――先輩が、好きです。それだけで、きっと誰も憎まず生きていけます」

そう言って、桜は微笑んだ。

……きっとボクは、このとき、この笑顔を壊してしまうべきだったんだろうと思う。
だが、不覚にもボクはこのとき、この一瞬、これから続く永遠に――この笑顔を――
『もう少し長く続かせてやってもいいんじゃないかな』そう思ってしまった。

ボクはそうしてまた笑い出す。
だが、さっきまでの笑いとは違う。
自分の頬を伝っていた涙に気づいて、また笑う。
一体いつから泣いていたのか。
いつから泣いていたか。そう、ボクはこんな簡単なことすらよく分からないのだ。
そう思うと、より一層滑稽に思えて、なおのこと笑えてきた。

笑いながら泣くボクの頭を、桜が抱いた。
ボクはその行動に「調子のってんじゃないぞ」と文句の一つも言いたくなったが
胸のなかなか悪くない感触と、聞こえてくる心音に、その文句を引っ込めた。

ボクは、ロクに会ったこともない母親のことを、少しだけ考えそうになる弱虫なボク自身を必死で押し隠す。
しかしそれでも唐突に襲ってくる眠気だけは御しきれず、そのまま眠ってしまいそうになる。

「おやすみなさい、兄さん」

ボクはやっぱりそれに文句を言いたかったが、桜が笑顔だったので――――ボクは、そのまま寝ることにした。





桜の寝室にいる桜と慎二を、マーティの提案でそのままにすることにして
俺とマーティとセイバーは、俺の近くの部屋でそれぞれに寝た。

そうして夜が明けると、慎二は何事もなかったかのように、いつもの調子に戻っていた。

ただ一つの変化としては、朝ご飯のお茶をつぐ桜に、慎二は笑顔で

「ありがとう」

と言った。

それは些細な、ちょっとしたことで、揺れて、霞んでしまいそうな変化だったが
きっと、永遠に折れることも消えることもないだろう、そんな変化だった。





朝ご飯を食べ終わると、自然とこの家にいる全員
――俺、セイバー、桜、慎二、マーティの五人が――居間に集まった。

桜は病み上がりともいうべき状態なので朝食を作るのはもちろん、片付けるのも俺がやった。
一通り片付けが終わると、桜が淹れたお茶(俺が止めても、せめてこれぐらいは、と桜が聞かなかった)を
飲んでくつろいでいた四人も、テレビの電源を落としてこちらへと向いた。無論、視線は俺に集中する。

ええと……ひとまずは現状の確認と報告、か?

「あーっと……桜、体は本当に大丈夫か」

「はい、心配いりません。ただ、その……」

そういうと桜の表情にかげりが見えた。
桜の言葉を継ぐようにして、慎二が口を開く。

「その先はボクが話すよ。と言っても、どこから話していいのか難しいね
 衛宮、オマエはどれぐらい知ってるんだ?聖杯や……マキリについて」

俺は遠坂から聞いたことを中心に、自分が知っている魔術や聖杯戦争に関しての知識を全て話した。
話し終わると、桜に確認をとるようにして慎二は冬木の聖杯について話し出した。
マキリについて、遠坂について、アインツベルンについて。それら三家の目的、第三魔法について、根源という概念について。
……その中には、もう俺の手が届かない場所――過去となってしまった話もあった。いや、そんな話が多すぎた。
確信ではないが、親父が聖杯戦争に参加していたのであろうことも分かった。
そして――桜が、マキリにいる理由も、遠坂凛の妹であることも。

「……それで、ひとまず今の状況が大体全員に伝わったね。
 ここから先はボクの推理になるから、一応言っておくけど、絶対確実なわけじゃないからな」

そう前置きして慎二は話しはじめた。

「まず、爺さんが桜から蟲を取り除いたときの言葉や、その他、その後の言動から察するに
 おそらく爺さんが生け捕りにしたのはアインツベルンのマスター。
 というより、むしろソイツが持つ小聖杯だと思うんだよね。
 ソレが今回どんな形態をしているかは検討もつかないけど――多分、その一点に関しては正解なはずじゃないかな。
 もしそうなら、爺さんは今回の聖杯戦争において大きいアドバンテージを得たことになる。
 サーヴァントの消滅以外に、もう一つ聖杯起動に関する絶対不可欠な鍵を握ったことになるからね。
 それが交渉材料に使えるほど、簡単に操ったり壊したりできるかどうかは疑問だけれど……
 とにかく向こうにとって有利なのは間違いないよ」

慎二の縷々とした推理と解釈、その説明に、俺は口にこそ出さないものの
魔術回路が有るか無いかなんて本当は大した問題じゃないんじゃないか、と一瞬思ってしまう。
俺よりずっと――素直な意味で、慎二は魔術師として優れているだろう。

「だけど、実はこっちも爺さんに対して、武器になるものがある。
 ――桜、そのリボンは遠坂縁の品だよな?」

桜は驚いていた。
それは突然話を振られたから、というより何故それを知っているのか、という驚きが多分に含まれていた。

「え、ええ――そうですけど……兄さん、それはお爺様から聞いたんですか?」

慎二は呆れたように言う。

「バカ。小さい頃から肌身離さずで、ツラいことがあるたびにそれを握り締める癖があるだろ、オマエ。
 そんなの誰だって気づく」

目を丸くする桜に、続けて慎二は言う。

「説明する前に、見た方が早いだろうな。外してみろよ」

桜が髪を下ろした。俺は少しだけ、髪を下ろした桜の姿に目を惹きつけられたが、それを振り切ってリボンを見た。
リボンは二つ折りの二枚重ねで、薄い生地ながら、広げるとそれなりに大きくなる。
いつも結び目で隠れている部分には、布の二枚共に留め金として、小さく目立たないが、高価そうな宝石が光っていた。

「パッと見は赤紫の普通の生地だけど、見えないように金糸と銀糸が混じっていて
 本来の役割以上に魔力を貯めるのに非常に適してる。
 留め金の宝石も、種類までは分からないけれど、かなり高価なはずだ。これも魔力を貯める為だろう?」

名探偵がトリックを明かすかのようにすらすらと説明するその様に
マーティや俺、セイバーまでもが「ほう」と声を漏らした。

「兄さん……い、いつからなんですか?この留め金には――――」

「魔力殺しもついてるのに、か?魔力なんか探知しなくても分かるさ、これは只の洞察だ。
 それから、放っておけば刻印蟲に食われていく魔力を、分からないぐらいほんの少しずつそれに貯めてたことも、な」

桜が息を呑む。

「マキリに来てからも、遠坂の魔術を使っていたこと、それを拠り所にしていたこと、それは別に今の問題じゃない。
 ただ重要なのは――――おそらく、これに爺さんも気づいてたってことだ」

「そんな、お爺様が気づいていたなんて――」

「いや、気づいてたはずだ。ボクがちょっと考えたぐらいで至る事実に、あの老獪な魔術師が気づかないはずがないんだ。
 だから、爺さんはそれを知ってて、あえて黙認してたことになる」

さっきまでに聞いた話によれば、臓硯の爺さんはそんなことを許すような人物ではなかったはずだ。
リボンを持っているだけならまだしも、それに遠坂の魔術を行使していたとなれば、見逃すとは考えにくい。

「それだけじゃない。爺さんの行動はここ最近のものだけ見ても、おかしいところがある。
 例えばセイバー、おまえがボクを人質にとったときがあっただろう?
 さっきまでの話を聞いて、ボクに大した価値がないと分かっていたら、あそこで手を引くのが正しい魔術師のあり方か?」

セイバーは少しだけ考えるようにして、口を開いた。

「いや、ないだろうな。聖杯が手に入り、悲願が目前となっているなら
 あそこでオマエを見殺しに――いや、あるいは、自分で殺してでも――」

そこでセイバーは慎二から俺の方へ視線を向けて

「マスターを煽って館の奥へと引き込み、そこで確実に全員殺すべきだったろう。
 セイバーのサーヴァントを、自分の工房で確実に始末できるチャンスがあるなら、それを見逃す必然性はどこにもない」

そう言った。
魔術師として正しくあることが、そんな残酷と直結しうるという過酷な現実に、その場は静まり返った。
しかし慎二だけは、そんなことは百も承知と話をつなぎ続ける。

「あのとき爺さんが言ってただろう?
『蟲を移そうとしたときは、半ば情に流されているのではないか、と自分を疑いもしたが』
 だったかな?その言葉の通りだよ。あの爺さんはほんの少しずつ情に流され始めてる」

臓硯を血も涙もない魔術師ととっていた俺たちは、慎二のその言葉に面食らった。

「爺さんの精神が長い時に耐え切れず腐ってきたから、肉体もそれに応じて腐り
 体を取り替える必要が出てきていた、これは話したよな?」

そう言った話からも、俺は臓硯に嫌悪感に近いものを抱いていた。
俺が頷くと、慎二はなおも続ける。

「この『精神』はもちろん、感情とか考えとか、すなわち人それぞれの個性につながる精神とは違って
 肉体と比して語られるときに便宜的に用いられる『精神』だ。
 だってそうだろ?魔術師は皆、己の目的の為に心を鉄にするもんだ。それは磨耗することがあろうとも、腐ることはない。
 便宜上の精神という器が長い時に耐えられず腐ろうとも、その中身である心は腐らない。
 腐りはせずとも――――爺さんの心は磨耗し、やがて第三魔法への到達という志が、その利用へとズレてきていた。
 ……まあ、ここまで来るとボクの推理というより、想像の域だ。
 それでもそう遠からずってとこだと思うけどね。爺さんが不死を求めてるのは確かだから」

「なるほど……それで、なんでそれがあの爺さんへの切り札になるの?」

マーティが疑問を口にすると、慎二はようやく結論にたどり着いたとでも言うように締めくくる。

「要するに、爺さんはボクと桜を、利用価値云々とは抜きに『できることなら殺したくない』と思いはじめちゃってるのさ。
 この心の迷いは大きい。その老獪さが一番の武器ともいえる爺さんからしたら、致命的と言ってしまってもいい。
 ……無論、そうは言ってもあの人は魔術師だから、殺さなければ先に進めないとなったら、躊躇いなく殺すと思うよ。
 でも……おそらく、すぐさまこの衛宮の家に攻めてくることはないと思う。
 来るとしたら、最後――ボク達を殺さなければ、聖杯悲願へと達せないとなったときだけじゃないのかな」

「最後になったら、その心のスキをついてヤツを殺す、という決意表明だととっていいのか、それは?」

「セイバー!」

俺は非情な言葉を口にしたセイバーを非難した。しかし慎二は――

「そうだね。いざとなったらそれもしょうがないんじゃない?」

欠片の迷いもなく、そう言い切った。

「……慎二……」

「勘違いしないでくれるかな、衛宮。別にボクはおまえみたいに、聖人になることを目指し始めたわけじゃないんだ。
 これは戦争だよ。生き残るためになら、ボク自身や、ボクの守りたいものを守るためになら、なんだってやる。
 今はその一つの状況として、キミやセイバーと手を組んでいるだけだからね。そうだな、桜、ライダー」

俺はその言葉に、桜が悲しむのではないかと心配した。
だが桜は

「ええ――わたしは、兄さんについていきますから」

と、言った。
そこには何か、俺をはがゆくさせるような、言葉にする必要のない信頼があるようだった。
マーティも桜のその反応を聞いて

「オーケイ。僕もシンジについてくよ、サクラちゃんを泣かせたりは、しないんだろ?」

慎二にそう問いかける。
それに対して慎二は――

「任せろよ――ボクは間桐慎二だ。
 オマエラは黙って、全部このボクに任せてればいいんだからな!」

そう言って、こちらが驚くほどに――――優しく、笑った。





朝食後のミーティングは思いのほか長くなり、時間はすでに11時を回ろうとしていた。
これからどうしようかな――――



1・桜の様子を見にいくついでに、昼食の相談をしてみよう。

2・今度こそ、間桐兄妹に俺の魔術を見てもらおう。

3・マーティと慎二がTVの前でなんかやってる……何してるんだろうか。

4・戦闘についての打ち合わせが何もできていない。
  セイバーのいる道場に行って、稽古ついでに確認しておこう。

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